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なつかしく思い出される新島学園で学んだこと

理事長・学長 大平良治

 私はこの4月に、学校法人新島学園の理事長に就任いたしました。新島学園は来年、創立満65年を迎えます。今までの3代にわたる理事長は創立した湯浅家から出ておりました。前の理事長の湯浅太郎さんは、長年にわたり理事長の職務を担われ、新島学園の発展期、充実期にご苦労とご尽力をいただきました。心からお礼と感謝を申し上げます。

 私は本年度の中学校及び高等学校の入学式に出席しあいさつをいたしました。最近の入学式(特に中学校)には、入学生1人に祖父母と両親が付き添ってくる姿が目につきます。中には新島学園を卒業した祖父母にお目にかかることがあります。わたしが創立間もないとき7期生として入学した頃とは全く違う光景です。

  今、私は1952年(昭和27年)4月に新島学園高等学校中学部に入学したときのことと、6年間学んだことがなつかしく思い出されます。

  入学式の会場も、今の礼拝堂のような立派な会場ではなく、碓氷川の流れがすぐ下に見ることができる河岸に建てられた旧製糸工場で使われていた繭の乾燥場の跡を利用して講堂にしたところでした。土間の上に長い椅子を置いた今から考えると質素な会場でした。しかし私が入学した翌年には新しい礼拝堂が完成し、そこで礼拝が行われるようになりました。礼拝堂のうしろには、新島襄先生の大きな肖像画が掲げられ、先生が私たち生徒の賛美歌や祈りを聞き見守っている感じがしました。

  中学2年生とき、私はクラスで最も身長が低かったために礼拝では最前列に座り、礼拝が終わると一番最初に、生徒みんなが座っている通路の真ん中を退場しなければならなかったので、恥ずかしくて仕方なかったことを思い出します。私が学んでいた頃の新島学園は極めて徹底した少人数教育でした。私の学年は特に少人数で2クラスで80人ほどでした。そのころ高崎高校や前橋高校は1学年405人の定員でした。そのため高等部2年生の秋に安中駅から信越線に乗って名古屋経由で関西旅行に出かけましたが、当時の国鉄の汽車の1両を借り切ることもできず、一般乗客と一緒に旅をいたしました。また先輩、後輩の垣根も低く感じられました。先生と生徒が親しく、学生歌一番にあるように「友はわが師、師はわが友」という関係でした。
私が学んでいたときから、新島学園は実質的には中高一貫校であり、中学生と高校生が一体となって一生懸命勉強に、クラブ活動に自由に伸び伸びと取り組んでおりました。

 今、新島学園は、教職員やPTA、同窓会等関係者のみなさんが65年間に築かれた良き伝統と校風を尊重するとともに、時代と社会の大きく激しい変化を踏まえ、課題を克服して未来を切り開いていくたゆみない努力を続けています。

  私も「謙虚と誠実」を心懸け、同窓会のみなさんを初めとする関係者のみなさんの意見と要望に真剣に耳を傾け、学園で学んでいたときの先生や先輩から教えられたことを大切にし、なつかしい学園生活の思い出を胸に秘めて、さらに前へ進んでいきたいと考えています。

 みなさんのご理解とご支援を心よりお願いいたします。

 


新島同窓会報「根笹」

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