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気分上々!新島 襄  世界へ翔け僕らの未来
学園祭を訪ねて

新島学園同窓会 副会長 那須秀樹(16期)

“気分上々!新島襄 世界へ翔け僕らの未来”

 新島学園第29回学園祭のメインテーマです。

 私が通っていたころに比べるとぎっしりと詰まった校舎を囲む塀。手作り感十分のゲートをくぐり、正面の受付で頂いたパンフレットに書かれていました。

 案内を待っていると、受付の女生徒「卒業生ですか。何期生ですか?」
「16期です。」と私。
「16期ですかぁ、丁度私の50年前です。」
「えっ!50年、なるほど66期生。」


 事務局の方に案内されて同窓会の部屋に向かう間中「50年前、50年前」と頭の中で先ほどの女生徒の言葉が鳴り響いていました。同窓会の部屋には恩師、淡路先生がおられてしばし歓談。先ほどの「50年前」なるほど、私が淡路先生に初めてお会いしてから50年、あの時の歳の差は50年の歳月を経て、同年輩で括られる歳の差に。

 その他何人かの先輩にお会いして、後輩も紹介され、同窓会の部屋を出るとそこは、フィリアホール。今日は食堂としてご来場の皆さんが食事をしたり、休憩したり。

 フィリアホールを出ると、模擬店が並び部活動の部員達が焼きそば、かき氷等々、定番の屋台で腕を振るっています。模擬店のテントが赤、青、黄色とカラフルで軽快な感じで配置されている。我々の学園祭の時は、模擬店やったっけ? 食堂あったっけ?

 その他各教室での色々な部活の展示、パフォーマンス、さらに和風喫茶、とても回りきれないのでパンフレットの書き込みで内容を推察。それにしても、うろうろしていて感じるのは、女子の多さ。私の頃は未だ男子校だったので、華やかさは全く無し。当時の男子校の校風からいえば新島学園は、軟派校でそれなりにファッショナブル(古ッ)ではあったけれど、やはり女子のいる華やかさには比べるすべもない。男子校の学園祭としては、女子高生の来場を期待し、男子校の野暮ったさをどう隠すか、女子高生にアピールするには何をすればよいか?と、いう事が頭を占領していた気がする。

 それに比べて、現在の共学と言う状況での学園祭、カラフルな華やかな彩り。それにしても女子目立ちすぎ、男子は何処へ。まさに今の時代をそのままに生きている生徒たちの祭り。隔世の感がある。

 気分上々!新島襄と言い切る事に躊躇ない生徒。それを赦す校長、教職員この校風は確かに私達の頃にもあった。私が在学していた時の校長岩井先生、自由には「とらわれない自由」と「行動する自由」とがあると教えて下さいました。

 共学になったことで、私達男子校時代に囚われていた男と女、と言う拘りからは自由になった様です。まさに気分上々!新島襄です。

 世界に翔け僕らの未来、50年前の爺は、ここでも、共学なのに「僕ら」で良いのかとこだわります。爺はそんなこと言っているから未来が無いのだ。と言われそうですね。

 この、こだわりの無さ、とらわれない自由は、今の時代の子の普遍的な資質なのか、新島学園の生徒達の気質なのか?

 世界に翔け僕らの未来、と言い切る気概は新島学園の生徒だから持てるのか?

 50年前、受験戦争と言う言葉が広く使われていて、今は弾けたバブルに向かって世の中が動き、モーレツ社員、企業戦士と言う言葉が出て来た頃。

 岩井先生は「新島学園は、6年間で社会に出て恥ずかしくない人材を育成する事を使命とする。進学か就職かは、個人に帰する事であり、結果にしか過ぎない。」と私たちに何時も話しておられました。

 そうは言っても、学園は進学に、就職に手厚いケアをしてくれていました。でも、それ以上に、先生方は6年間での人格形成に心配りをしてくれていました。

 ずっと、ずっと長い間、新島学園と疎遠になっていました。今年図らずも同窓会本部役員、副会長としてご縁が復活しました。久々の学園際に訪れて、若者たちの稚拙で、それでいて妙に心を引かれる佇まい、動きを見て、卒業以来50年、私は何をしていたのだろうか、これから何をするのだろうかを考えるきっかけを貰いました。

 また、この度学園理事長に就任された、湯浅康毅氏(37期)のお話を聞く機会があり、湯浅理事長のお話と岩井先生の話された事との重なりが感じられ、ああ、新島学園と言うのはそう言う処だったなと思い出しました。

 久々に訪れた新島学園、見聞録を書くつもりが、その学園祭のメインテーマ「気分上々!新島襄」の衝撃に呼び起された回想録になってしまいました。

 


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