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理事長近影  

創立70周年を迎え
新島襄の原点に立ち返り、新たな行動指針で臨む

新島学園中学校・高等学校 校長 岩間秀彬


 今年は新島学園創立70周年を迎え、一つの節目の年として、新島学園の創立の原点を見つめ直すと共に、次の70年、100年に向けて英知を結集し、不退転の覚悟で果敢な前進をする時です。

 奇しくも、2年ごとに開催する学園祭とも重なり、「学園便り」7月号の巻頭言にも記しましたが、生徒の掲げたスローガンも「Niijima Journey ―70周年から未来への旅―」と、生徒達が未来に向けて、それぞれの旅に夢を描いていることが見て取れます。

 約140年前に、新島襄が米国から安中に帰って来られて、安中の地で蒔かれた種が地中で深く根を張り、新島襄のキリスト教精神に基づく教育の志を受け継いだ人々によって培われ、70年後、1947年に新島学園としてその芽を出し、今日まで、多くの方々の手を経て、その志が私達の学び舎に通う者の心の中に育まれながら、新島学園は70周年を迎えました。

 「不易流行」とありますように、「不易」の部分は、キリスト教精神に基づく新島襄の教育の心であり、それが、教育5原則に示され、この教育5原則は、70年経った変化の激しい今の時代でも、常に新しく息づいている言葉です。

 創立70周年にあたり、私達の教育の原点である新島襄に戻ってみたいと思います。私はクリスチャンですから、聖書のみ言葉を熟読し、み言葉に生きようと努めてきていますが、新島襄の言行録等から見る彼の生き様は、まさに、聖書のみ言葉を生きた人、み言葉を具現化した人といえます。

 彼は、キリストに対する信仰告白をこう言っております…「十字架上のキリストに目を向けよう。彼が私達の模範である。ああ、キリストは何と高貴で、何と偉大で、何と恵み深く見えることか。私達も自己を知れ、真と善の大義のために、自分を惜しげなく差し出そう。また真に悔い改め、謙虚になろう。私は、これを人の偉大さと呼びたい。」

 この告白の中に、人が目指すべき最終の姿が明確に表され、このような人物像を目指して人格教育することが、新島学園が目指す教育の原点だと思います。

 私の新島学園との出会いは、同時に、私にとっては、新島襄との出会いでもありました。新島襄は、1843年に生まれました。奇しくも、私はそのちょうど100年後の1943年に生まれています。

 新島襄にとって、10年の米国での勉学は、大きな試練であり、また、世界に視点をおいた人格形成期でもありました。比較することは恐れ多いことですが、奇しくも、私もコニカ米国子会社社長としての10年間が、試練の中で忍耐を学び、グローバルな感覚を養う時期でした。

 私なりに学んだ新島襄の日記や八重さんとの書簡に見る言葉の数々には、聖書のこころが充満していました。私の心をとらえ、『その通りですね』と深く感じ入った幾つかの言葉を敢えて掲載させてもらいます。

*「与えられるより、与えることが幸せに繋がる」

*「人生の幸せは自分のみが幸福になろうとすることではありません。高い地位を得たり巨万の富を得たりすることでもありません。自分の歩む道の中で、他の人々の役に立つことが幸せに繋がるのです。」

*「自分が他人からしてもらいたいと思うすべてのことを、あなたから他の人にしてみてあげてください」

*「愛は許すものです。」

 また、新島襄は、「人間の偉大さは学識だけでなく、私心のなさに現れる」と言いました。特に教育に関わる者にとって、「私心を持たない」ことの戒めは、大切にしたいと思います。

 教育に関して、新島襄は、「知育」(知識詰め込み)偏重の弊害に早くから気づいていました。魂や心の領域での育成や訓練を怠ると、「知育」はかえって利己的な人間を作るきらいがあること。徳を欠いた研ぎ澄まされた知性は、「鋭利なナイフ」と同じで、自分や他人を滅ぼす危険極まりないものであるとの認識が新島襄にはありました。

 企業でも、自分の能力や切れ味の良さを振り回して、周りの同僚や部下を傷つけながら、成果を上げて得意になっていた人がたくさんおりました。

 しかし、人生には、かならずアップアンドダウンがつきものですから、この様な者は、ダウンした時には、誰も助けてくれず、再起不能になる例を沢山見てきております。

 このことは、私が校長として、生徒を育成していくにあたり、常に心しておきたいことの一つです。

 新島襄の標榜する「良心の充満した」とは、いまさら言うまでもありませんが、他者に奉仕するために私欲を抑える人格をいうと、述べられています。まさに、キリスト教の精神を具現化した生き方として心に響きます。

 このような、新島襄の生き様と教えは、私がクリスチャンとして目指している生き方の具現化であり、校長として、新島襄の示された道筋を辿り、それを教育に生かしていくことに、喜びと確信を与えてくれるものです。

 この様な新島襄の教育の心を「不易」の根幹として、未来を展望し、世界の変化、日本社会の変化に適応して、たくましく生き抜く人材育成が、これからの新島学園に望まれています。その為には、教職員である私達が、どのような姿勢でこれからの新島学園の教育に関わっていくかにかかています。

 今年度最初の教職員会議で、私は、教員の成長が生徒の成長、学校の成長・発展の鍵と信じて、次の「7つの行動指針」を教職員と共有化することを、話しました。

新島学園中学・高校教職員の
「7つの行動指針」

  1. 「欠点探し・問題指摘型」から
    「良いとこ探し・解決提案型」へ
  2. 「100点まで待つ」から「70点でGo」へ
  3. 「不平・不満」の気持を「感謝・笑顔」の心へ
  4. 「ルールを守らせる」教育から「自主自立」の育成へ
  5. 「怒る:褒める=7:3」から
    「褒める:叱る=7:3」へ
  6. 「内部に敏感な」小型センサーを
    「外部変化に敏感な」大型アンテナへ
  7. 「挨拶」「整理整頓」「清掃」を基本に、教師が模範を示す学園へ

 教育の現場、特に私立学校においては、公立のような学校を変わる人事異動がないことで、伝統の継承が保たれ、私立のユニークさが、益々磨かれるという利点がありますが、一方、世の中の変化に疎くなり、過去の慣習に順じてやることに安心感を覚え、事なかれ主義に陥りやすくなる懸念も内在しています。新しい提案があると、それに乗ってさらに良い提案を生み出す姿勢よりも、その提案にはこれだけの問題が考えられると、指摘するだけに終わってしまうこともあります。新しい提案を、70点でも先ず「Go」させ、問題点は走りながら改善していくやり方を推進することには、多くの者が、リスクがありすぎると反対します。誰かが、万一の時、責任を取らねば進みません。全てにおいて責任は、校長が取ることを明示しておくことが必要です。また、内向きにばかり敏感なセンサーを張り巡らせていると、外の大きな変化に取り残されて、大きく変化していく世界へ子供たちを送り出すとき、適切な進路指導が出来なくなります。この様なことは当たり前のことですが、頭でわかることと行動に起こすこととは違います。決意をもって行動を開始し、日頃の行動姿勢として定着させて初めて機能し、学園の未来創造へと繋がって行くものと信じています。

今後10年で、群馬県の高校入学人口が15%以上減少することが統計上分かっている中で、新島学園が生き残りをかけて、新島襄の教育の心を根幹として堅持し、大きな世の変化に対しては、ここで掲げた「7つの行動指針」で臨み、「すべては生徒の成長のために」を合言葉に、真の意味の全国レベルで「ユニークな新島学園」を創造し続けていくことを、教職員と共に心に誓い、次の聖書の言葉を持って終わります。

 「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」
(ローマ書5章3~4節)


新島同窓会報「根笹」

新島学園中学校・高等学校 新島学園短期大学