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新島学園の源流を旅して新島学園中学校・高等学校 校長 小栗仁志 |
新島学園中学校・高等学校同窓会根笹会 会報「根笹」の発行、おめでとうございます。また、平素より同窓会根笹会の皆様には、新島学園中学校・高等学校の活動にご理解、ご協力、ご支援を賜り、この場を借りて改めて御礼申し上げます。特に今年度は学園のマイクロバス購入のために多大な資金援助をいただき、心より感謝申し上げます。現在の教育は校舎、教室の中でのみ行われるのではなく、校外の企業や団体のご協力を得ながら体験的に学ぶことが必須になっています。購入させていただくマイクロバスは、校外での学習活動や、部活動の遠征などに大切に用いさせていただきます。校長就任3年目になりましたが、まだまだ力不足で卒業生の皆様にご心配をおかけしていると思います。引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
今年は2025年です。新島襄が同志社英学校を創立したのが1875年11月29日のことです。今年は同志社創立150周年にあたります。新島襄は勝海舟と面談した際に勝から「同志社は何年を期して成らしめんと欲するや(同志社は何年で完成させるのか)」と問われ、新島襄は「これ真神の事業なり まづ二百年の後を期せざるを得ざるべし(これは神がなさる事業なので 200年はかかると考えるべきだ)」と答えたと言われています。150周年はその完成までの200年の4分の3にあたります。いよいよ同志社完成への最終コーナーを曲がったということでしょうか。私は牧師になる学びを同志社大学神学部にて行いましたので、同窓生として感慨深く、また自らに課せられた課題として考えるところがあります。
学校法人同志社の創立150周年記念事業の一環として「新島襄の足跡を辿るアメリカツアー」が8月22日から26日まで実施されました。湯浅理事長の特別のご厚意にてこのツアーに参加することができました。2学期開始直前の学校にとっても大事な時期でしたが海外出張をゆるしてくださった学園に感謝申し上げます。宗教部長として働いていた時、新島襄の生涯について授業で生徒に教えていました。授業では「さも見てきたように」話していた場所のことを、これからは「本当に見てきた通りに」話すことができます。自分自身にとってよい学びの時であり、これから生徒たちに新島襄のことを話す際に説得力を増すよい機会でもありました。
ツアーはまず、アーモスト大学ジョンソンチャペルでの記念集会から始まりました。アーモスト大学は新島襄が卒業した大学であり、リベラルアーツカレッジとして現在も全米有数の大学です。リベラルアーツカレッジとは、一つの専門に特化するのではなく、よき市民として必要な教養を幅広く身につける教養教育を行う単科大学(カレッジ)です。「知、徳、体のバランスの取れた教育」は現在の日本のどこの学校でも志していることですが、これを最初に始めたのがアメリカのリベラルアーツカレッジであり、アーモスト大学もその内の一つです。新島襄は知徳体のバランスを重視した教育を最初に経験し、最初に志した日本人なのです。ジョンソンチャペルは新島襄の在学時から存在し、彼が礼拝を守った場所でもあります。その同じ場所に立つことができること、改めて感激しました。

ジョンソンチャペルの正面右側の壁には新島襄の肖像画が飾られています。新島襄がアーモスト大学を卒業したのは1870年ですが、1900年のこと、卒業30周年を記念し同級生の中から一人の肖像画を大学に寄贈しようということになり、新島襄が選ばれました。すでに新島襄は召天していたので、写真を頼りに制作されたそうです。1901年に大学に寄贈され、まずは図書館に飾られました。その後、1909年に今のジョンソンチャペルに移され、正面右側の「名誉ある位置」に飾られました。
今回うかがって驚いたのが1909年にその「名誉ある位置」に置かれてから第2次世界大戦中も取り外されることなく、その場に置かれ続けたことです。第2次世界大戦時、日本はアメリカにとって敵国であり在米の日系人の方々は収容所に入れられました。そんな状況の中でも新島襄はアーモスト大学にとって大切な卒業生であり、「名誉ある」存在であり続けたのです。第2次世界大戦下の日本においてアメリカ文化がどのような扱いを受けたのか。敵国で盛んな宗教だということで日本のキリスト教会も国家の監視下に置かれることになりました。そのような歴史を振り返ると、アーモスト大学における新島襄の肖像画の位置づけは驚くべきものだったと思うのです。
今、日本では「日本人ファースト」という言葉が使われるようになり、排外主義が垣間見えるようになってきました。こうした現代社会に生きる生徒たちにこのことをしっかりと伝えたいと思いました。
現在用いられている学習指導要領では、生徒たちの学習を3つの観点から評価することになっています。「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・協働性」の3つです。その中の協働性。時に考え方の異なる他者と協力して目標を達成する力が今、社会では必要とされています。人口減少が急速に進む日本社会では、これから外国人の方々を受け入れて力を借りなければ、産業をはじめ様々な社会システムが維持できなくなるでしょう。多様な価値観を持つ人々といかに共生していくのか。これは今、本校で学んでいる生徒にとって考え、優先的に身に着けていくべき力です。聖書はどうすれば人を出し抜いて競争に勝ち残れるのかということについては教えてくれませんが、どうすれば他の人と共存できるかについて多くの知恵を与えてくれる書物です。キリスト教教育をしっかりと貫き、そうした時代の変化に対応していきたいとの思いを新たにしました。

翌日バーモント州ラットランドにあるグレイス組合教会を訪れました。グレイス組合教会は新島襄が「日本にキリスト教主義の大学を作りたい」とアピールし、500ドル(今の価値でいうと1億5千万円ほど)の寄付を得た場所です。その寄付金を元に新島襄は京都の同志社英学校の土地を購入しました。
1874年10月9日、新島襄も所属していた宣教師派遣団体であるアメリカンボードの年次大会がグレイス組合教会を会場に行われました。アメリカンボードの準宣教師として日本に派遣されることになっていた新島襄に挨拶のスピーチをする機会が与えられました。通常でしたらこれから派遣される日本、彼にとっては帰国する祖国日本ですが、そこでキリスト教を広め、多くの教会を築く決意を述べるべきところです。しかし新島襄は、これからの日本には自分自身が学んだアーモスト大学のようなキリスト教主義による高等教育が必要であること、その大学設立のために資金の協力をしてもらいたい旨のスピーチを行いました。
宣教師の主たる任務はキリスト教を他国に広めることです。キリスト教が広まっていない土地に行き、そこでキリスト教を伝え、キリスト教徒を増やし、教会を設立することです。キリスト教主義の大学、学校の設立は無関係とまではいいませんが、宣教師の任務からすると副次的なことです。教会がある程度設立され、牧師の養成が必要になった段階で初めて話題になるような事柄です。実際に新島襄が日本に帰って学校設立に動いた時に協力してくれた仲間の宣教師はジェローム・ディーン・デイヴィス以外ほとんどいませんでした。そのような場違いな願いを述べたにもかかわらず、新島襄の熱意溢れるスピーチは年次大会に参加していた人々の心を打ち5000ドルにのぼる多大な寄付金を集めることに成功したのです。
この出来事は大きく二つのことを教えてくれていると思います。一つは教育の大切さです。国や社会を改善していくには、まず第一に教育だと言われます。外国の支援活動を行っている友人達が口をそろえて言うのは、ある国、社会を発展させ安定させるためには、その国、社会で自分たちに必要な人間を教育し育成することができなければならない、そうでないと国や社会はいつまで経っても様々な面で自立することができないということです。新島襄は明治になり新しい旅立ちを始めた日本をキリスト教とキリスト教主義教育の両面から改革しようとしたのです。
新島襄が召天する直前、1889年11月23日付けで同志社の学生であった横田安止宛に送った手紙の中に「小生畢生の目的は 自由教育 自治教会 両者併行 国家万歳」との言葉がありますが、まさにそのことを示しています。また、1882年7月15日に群馬県の原市にて行った「地方教育論」の講演では「真正の教育を地方に布くに如かず」と述べ、地方の指導者は地方にて育てていくべきであると語っています。同志社は大都会の京都市にある学校ですが、本校、新島学園は群馬県安中市という地方都市にある学校です。新島襄の「地方教育論」に基づいた教育を実践する使命を、同志社とは別に負っている学校だと思うのです。群馬県を中心に様々な分野で活躍される卒業生を数多く学園は送り出してきました。同窓会根笹会の卒業生の方々のご活躍が、新島襄の抱く地方教育の理想を追い求めてきた新島学園の歩みを証しています。
もう一つは「志」の持つ力です。先ほど述べたように新島襄がグレイス組合教会で行ったスピーチは彼の本務からいうと的外れな部分があったものです。しかし彼の日本を、日本の若者を思う情熱が人々の心を動かし、5000ドルもの寄付金を集めることができました。人の熱く純粋な思い、自分の利益ではなく神の御旨に叶うような、人や社会のために尽力しようと志す思いは人を動かすのだと改めて思いました。

今、世界の教育界ではエージェンシーの養成が重視されています。2019年にOECDがこれからの世界の教育のあり方を示した「ラーニングコンパス」で提唱されている考え方です。「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義されています。自分の人生や周りの世界をよくしていこうという意志を持ち、それを実現するために現代社会の問題点を探し当て、それを解決する方法を模索し、その方法を責任をもって実行していく能力と言い換えることができるでしょう。
日本の教育も世界の潮流に乗り、ラーニングコンパスの提唱する概念を実現しようとしています。戦後の高度経済成長期に目指した「良質な労働者を量産する」「言われたことを迅速に確実にこなす能力」を重視した教育から、ラーニングコンパスに代表されるような、社会の当事者として社会をよりよく変革する意志と能力をもった人間、エージェンシーに満ちた人間を育てる教育に変わってきています。先ほど述べた学習指導要領の変化や、学力評価の観点の変化も、その流れに則ったものです。新島襄がグレイス組合教会でスピーチを行い、日本に帰り同志社英学校を創立し、教育とキリスト教伝道をもって日本を改良しようと全力を尽くした新島襄の生き方そのものが、エージェンシーの塊だったように思います。
新島襄の教育理念は今から150年前のものであるにもかかわらず、現代の最先端を行くものだったのです。社会がようやく新島襄に追いついたとも言えるでしょう。私たちもうかうかしていると他校の方がより新島精神を具現化していると言われかねません。より一層、新島精神を意識し推し進めていかなければなりません。グレイス組合教会で新島襄がスピーチした場所に立ちながら、その思いを新たにしました。
新島襄のスピーチから150年が経過しました。新島襄の志は同志社関係者だけでなく、私たち新島学園関係者にも引き継がれています。これからの50年で学園が何をすることができるのか、新島襄自身から問われているのです。その最初の一歩として、本校では来年度から高校2年生の「総合的な探究の時間」をより充実しようとしています。近隣の企業や団体と交流しながら、社会の問題を自分達で探し、自分達で解決方法を考え、解決のために少しでも前進していく。エージェンシーを養う基礎としていくことを計画しています。卒業生の皆様にもそのプログラムへのご協力をお願いすることがあると思います。その節はどうぞ、よろしくお願いいたします。
今回のアメリカツアーは本当に実りの多い旅でした。新島学園の源流に触れる旅でした。その機会を与えてくださった学園に心より感謝いたします。