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理事長近影  

新島学園創立70周年記念プロジェクト
『平成の新島学園オートキャラバン隊』活動報告

学校法人新島学園 理事長 湯浅康毅

【2】

 さて本題に入りますが、いきなり感想から始まるのはおかしいことなのですが、今回取り組みはまだ始まったばかりで来年の本番に向けての準備段階のトライアルな状態ですが、こんなに奥が深く中身も濃く思ってもいないような広がりに繋がっていくとは想像もしていませんでした。これは凄いことになる。新島学園の恐るべき底力を実感した、そんな心境です。

 また一方で正直申しますと、今回のプロジェクトを実行するのは本当に、本当に大変でした。

 総会の時にこのことに触れた時も、『一体何考えてるの?』という空気もありましたし、個人の趣味と公私混同しているのでは? というお叱りもたくさんいただきました。

 メディアの方も、今回はレースではなく『エコラン競技』なんだと伝えても『レース』と表現されてしまったことで、誤解が生まれ悪いイメージが先行してしまい、余計に様々な方にご迷惑をお掛けすることにもなってしまいました。

 ただ、今回のプロジェクトは予め実現するように導かれていたとも思うのであります。

 それは約40年前にさかのぼります。

 この木彫りの熊をご覧ください。

 この熊は私の実家である、有田屋の蔵の中にずっと置いてあったものです。40年前の子供のころ、たまに蔵から持ち出してはおもちゃ代わりに遊んだものですが、そのまま仕舞わないで放置していたら両親から怒られて捨てられそうになったことが何回もありました。

 あまり大切にしていないおもちゃだったら捨てられても良いのかもしれませんが、不思議と守って蔵の中の定位置にしまっていました。

 時が過ぎて、今から9年前に評議員としてまた母校と関わり合いを持つようになり、その後私が在学していた時期のみならず始まりからいろいろと過去の史実を調べるようになりました。

 既に皆さんがご記憶の様々な学内外行事や新たな施設を備えてきて現在まで至っておりますが、その中で個人的に気になって仕方がなかったのが、『新島学園オートキャラバン隊』でした。

 40年史、50年史にも触れられているのですが、写真がたった一枚のみ掲載されているだけで、説明も数行だけの取り扱いでさらっと紹介されているのですが、めちゃくちゃ興味がありました。

 調べてみると当時の高校3年生4名が夏休み中に日本一周を目指して自動二輪(オートバイ)で旅をしたとのこと。

 早速この計画を実行した先輩方から直接お話を伺いたいと思っていたのですが、4名のうち3名は既に故人となっており、残る一人は神奈川県小田原市にお住まいとのこと。

 その後、昨年の東京根笹会でお目にかかることが出来、一度詳しいお話をとお願いしながら時が過ぎ、今年の6月27日に法人本部でようやく1年越しでお目にかかることが出来ました。

 まずこの写真ですが、一体4名のうちだれがだれなのかわからない状態でしたが教えていただきました。


1954(昭和34年)新島学園オートキャラバン隊メンバー【9期生(高校3年生)】
※左より 吉田 洋(故人)、湯川重男、中野勝利(故人)、大竹 茂(故人)

 当日は私と三宅広報センター長が対応させていただき、これまで限られた情報しかなかったこの取り組みの詳しい内容をお聞きすることができました。

 湯川先輩曰く、約60年も前のことなのでほぼ覚えていないよ、とのことでしたが、今回わざわざ当時の旅の記録を収めたアルバムを持参してくださり、写真を一枚一枚見ながら記憶を一つ一つ確認しながら、徐々に当時の記憶を思い出していただきました。

 お話をお聞きする中で、まず今回驚いたことは、生徒主体でこのオートキャラバン隊を企画したということ。しかも思いつきではなく、入念に時間をかけて練られてきた計画であるということがわかりました。

 このオートキャラバン隊のリーダーは、集合写真左端の吉田洋先輩。

 吉田先輩は約1年前の高校2年生の時から旅の計画…旅の行程、宿泊先の手配や各地での奉仕活動等々を手掛けてきたそう。

 今回の目的は、若者たちが日本を一周したいという希望が原点にありスタートしています。

 そして日本を一周する中で新島学園という学校を全国にPRし、各地の教会・幼稚園等を訪問し、宿泊させていただきながら、持参した紙芝居をして奉仕活動をしていたようです。

*時間的な制約から日本一周は叶わず北日本一周になったそうです。
(東京‐仙台‐青森‐室蘭‐札幌‐釧路‐網走‐旭川‐秋田‐山形‐会津‐東京)
【新島学園50年の歩みより抜粋】

 そして肝心のオートバイですが、当時日本中のオートバイメーカーに本計画へのスポンサー協力依頼の手紙を出していたそうで、その中でご協力いただいたのが、昌和製作所というかつて静岡県沼津市に存在したオートバイディーラー&メーカーより『昌和ライトクルーザー』という125CCの2サイクルオートバイを何と4台寄贈していただいたとのことでした。

 そして旅の途中で、各地域にあったディーラーで車両のメンテナンスもして下さるというサポート体制であったということだったそうです。

  メーカーフルサポートでこのオートキャラバン隊が実現できたというのは本当に驚きです。

 このオートキャラバン隊の活動は訪問する先々で話題となり新聞に取り上げていただいたそうであります。

 他には、旅の途中で危ない体験は無かったかお尋ねしたところ、室蘭の小高い丘の上に立っている教会を訪問した後に、帰りの下り坂で勢い余って転倒してしまったそうです。幸い擦り傷で済んだようですが印象的な出来事だったそうです。

 また約1カ月間一緒に旅をしていると喧嘩などもあったのでは? と想像しましたが、全く無かったそうで、兎に角毎日違った景色を走ることができたので退屈も一切しなかったとのこと。むしろ一緒に旅をする中で仲間を自然と思いやるようになったそうであります。

 この1959年に実施した新島学園オートキャラバン隊を今現在改めて振り返ってみると、この時の経験は湯川先輩がこれまで歩んできた人生の中で決して欠かすことができない良い経験だったと言い切られました。

 人は生きていく上で耐えなければいけない時が必ずあるがこの時の経験があることで乗り越えてくることが出来活かされているとのことでした。

  よく新島学園を巣立った先輩たちが、新島学園は卒業してからその価値がわかる、とおっしゃるシーンに巡り会うことが良くあります。

 今回の湯川先輩の言葉には、新島学園での学びというものは決して座学だけでは学べない、一生モノに触れることが出来る、人生にとって大切なことを体験できる学び舎であることが意図的でなく伝統的に守られてきていることを知らされました。

 そして、創成期においても今回のような取り組みを発案され、語り継がれていく伝統を継続して生み出している土壌が元々新島学園には本質的に備わっているのだと感じることが出来ました。

 最後に『平成の新島学園オートキャラバン隊』について以下のような応援メッセージをいただきました。

『事故が無いように、成功を祈っているよ』

『大きな失敗をしないように、小さな失敗を体験し学んで欲しい』

『失敗を経験しないと、成功は無い』

 改めて申し上げますが、この計画は生徒たち自ら計画・実行したというその行動力に驚くばかりであります。

 冒頭申し上げたこの『木彫りの熊』に話を戻しますが、ふと裏返しにして見た時に、

上から
『湯浅様』
『1959年8月7日記念』
『オートバイ旅行』
と彫ってあり、それを見た瞬間この木彫りの熊は、オートキャラバン隊のお土産として北海道から一緒に旅をしてきたものだと悟ったわけであります。

 まさにこの木彫りの熊と、オートバイにまたがる4人の若者達の写真の意味が繋がった時に、40年来不思議と捨てなかった理由というのは、この新島学園オートキャラバン隊の史実とを繋げる証拠品として守らてきたんだと確認したわけであります。

 そして、この事実を掘り下げ、新島学園の文化としてしっかり伝えていく責務があること。

 そしてこの歴史を次世代に活かしていくことは新たな新島学園の伝統づくりに大きく貢献してくれる大切な要素になると確信したわけであります。

 今回の『平成の新島学園オートキャラバン隊』にはこの史実と関係性があってはじめて実現できたプロジェクトなのであります。

 このような学園の歴史がある中で、今回のプロジェクトはかつて4人の生徒たちが新島学園のことをPRするために自動二輪で全国を駆け巡った伝説のプロジェクト『オートキャラバン隊(1959年実施)』の精神をオマージュし、新島学園関係者で『TEAM753太(チームしめた)』を特別に編成し、かつての自動二輪から自動4輪に変えて、来年創立70周年を迎える節目の時を全学上げてお祝いすると共に、新島学園の新たな取り組みを学内外に発信する目的で企画させていただきました次第です。

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